片桐 力(かたぎり ちから)
主な所有資格
- はり師・きゅう師(国家資格)
- 日本体育協会公認 アスレティックトレーナー
初めまして! 埼玉県熊谷市で腰痛専門の整体院をやっております、院長の片桐 力と申します。
「怪我の絶えなかった小学生時代」
私は埼玉県熊谷市で生まれ、現在まで熊谷市でずっと暮らしてきました。
小学校の時は内気な性格でそれを変えようと思ったのか、小学生時代は土日は一日中、夏場は学校から帰ると暗くなるまで5年間ソフトボールの練習に明け暮れていました。友達が遊んでいる中、なぜ練習をしなければいけないのかと嫌で嫌でたまらない練習でしたが、最後までやり抜き県大会で準優勝するなどの成績をあげられることができました。今思えばこの経験が私の人間形成の大きな一つになっていると感じています。
また、当然として練習をすれば怪我をすることも多くなり、捻挫、肉離れなどはもちろん小さな怪我は数え切れないほどしてきました。そうなると地元の接骨院や整体院にお世話になることが自然と多くなり、結果として、幼い頃から接骨や整体の仕事に触れる機会が多く、怪我を見てくれる先生が心の中で憧れのようなものになっていました。
「施術家を目指すきっかけになった中学、高校生時代」
小学生の終わりからバレーボールを始め、中学に入学すると本格的に部活動でバレーボールに取り組むようになりました。これまでの小学生時代と同じように競技特性から、突き指や捻挫などで接骨院にかかる機会が多く続きました。
そしてこの頃に私の中で大きな出来事がありました。
ある時から腰痛に悩まされるようになっていきました。はじめはプレー後に少し気になる程度だったのですが、次第にプレーに影響するようになりました。バレーボールはスパイクやアタックをする時に高くジャンプをするため、ジャンプの着地で激痛が起こるようになり、最終的には歩くのも痛いほどになっていきました。いつも通っていた接骨院では良くならず、地域で有名な鍼灸院や整体院などに幾つも通いました。
しかしどこに行っても良くなりませんでした。
「もう良くなった。大丈夫だよ」と鍼灸の先生に言われても、治療院を出たときには腰の痛みが戻っていました。その時の何をすればいいのかわからない不安な気持ち、大会までに治らないかもしれないという不安は今でも忘れられません。
また、私は片親なのでわざわざ仕事の休みを取ってまで遠方の治療院まで送り、安くない治療費を出してくれていました。親に申し訳ないなと感じる辛い日々でした。結局、痛みはあまり改善せず、休みながら痛いのを我慢してプレーしていました。その後、幸いにも部活動が終わり高校入学まで運動を控えることで腰痛は気にならなくなっていきました。
高校時代は腰痛になることの恐怖からジャンプなどの動きが多いバレーボールからバドミントンへスポーツを変更しました。バドミントンでもそのスポーツ特有の怪我をいくつも経験しました。試合が近い時期に肩を故障し、試合に出られず仲間に迷惑をかけた時期もありました。団体戦などもあり、周りの人たちには余計な心配をさせたと思います。
当時の私は中学生時代の辛い経験があったのにも関わらず、接骨院や整体院に行って治療をしてもらえばそれで大丈夫と考えており、身体のケアのことは全く考えもしていませんでした。当然として身体の状態の説明、セルフケアやストレッチの方法は全く知らない状態であり、いま振り返れば圧倒的に身体のケアが足りていませんでした。
最初にも述べましたが、わたしは学生時代、性格的に人見知りで治療院の先生と積極的にコミュニケーションを図ろうとしなかったので、先生も教えてくれなかったのかもしれません。しかし、その時にしっかりとした説明、ケアの方法を治療家の先生が教えてくれていたら怪我も少なくなったのかも・・・と、この道に入った今だから思うこともあります。
「施術業界へ」
高校卒業後、やはり怪我をした経験が多く施術家に漠然と憧れのようなものを持っていたのか、鍼灸の専門学校に入学しました。特に苦労することもなく、3年間で無事に国家資格であるはり師・灸師の資格を取得し、その後は鍼灸接骨院で働くようになりました。しかし、やる気に満ち溢れていたからこそ、そこからの一年が私の人生で一番辛かった時期であると思います。
資格を取得したばかりの私は、資格さえ持っていればどうにでもなると考えており、現実はいざ働き始めると何もできない、何もさせてもらえない日々が続きました。学校で教科書を見て学んだことは、実際の現場では全く参考にならず、現場で発揮できる知識もなく、毎日怒られ、そのため毎日仕事を辞めてやろうと思っていました。
「トレーナー活動の開始」
仕事を始めて数年後、中学校のバスケットボール部に参加している子が通院してくるようになりました。今まで接骨院に来るような学生は捻挫や肉離れ、脱臼など、急性の怪我をしたパターンがほとんどでした。この学生の場合は「アキレス腱炎」という症状でした。
アキレス腱炎は運動のしすぎでアキレス腱部に炎症が出てしまい、同箇所に痛みが出てしまうスポーツ障害です。簡単にいうと、使いすぎの怪我になります。私はそういった学生に周辺部のケアとストレッチの指導などを主におこなっていました。
しかし、その時はよくなっても、また部活動をすれば、同じように痛くなって帰ってくることを繰り返していました。この時から、同じバスケットボール部の子が何人も来るようになりました。そして、決まって症状は「アキレス腱炎」でした。正直なところ「またかよ・・・」と思ってしまうこともしばしばでした。不思議なことに、野球部の子が来院してもこの頃は皆「アキレス腱炎」でした。冗談抜きに、この学校は「呪われているので・・・」と考えたこともあります。もちろんそのようなことは決してないですが、一つ言えることは
原因がないのに同じ怪我は起きない
ということです。部活動の練習内容、学校の行事など、必ずどこかに痛くなる原因があります。それもあって、この頃から私は治療院に来てもらって施術するだけでは、根本的な解決にはならないと思うようになりました。練習内容などを見直していかないと、そもそもどうにもならないと感じていました。特に使いすぎによるスポーツ障害はそうです。子供達をしっかりと診ていく為には、練習内容を把握し、そこに入っていけるだけの知識と経験がないといけないと感じました。
それから私はスポーツの正しい知識を勉強するため、2年間ほど専門学校に通いなおし、オリンピックの選手や、プロ野球チーム、プロサッカーチームなどに所属しているトレーナーが持っている、日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー(JSPO-AT)の資格を取得しました。その中で学生やプロ野球のトレーナー現場を経験しました。高校生のアメリカンフットボール部に参加し数多くの怪我の対応をしながら、怪我につながる動きをさせないように指導することや、怪我のしにくい体づくりなどを学びました。
「現在に至るまで」
わたしがこの道に入ったのは様々な怪我の経験を通して、大人の仕事で一番身近に触れていたものがこの仕事だったからであると思っています。今まで接骨院・トレーナーの仕事を通して感じることは、痛み・怪我に関して、学生時代の私同様、正しい知識を持っている患者さんはほとんどいないということです。
特にヘルニアや脊柱管狭窄症、または医師に原因不明と診断されたような膝の痛み、腰痛の方が非常に多いと感じております。そのため、皆様が常に痛みの不安と治るかどうかの不安と隣り合わせで生活していることです。わたしも、学生時代にその経験をしてきたので気持ちはよくわかります。
整形外科で「運動をしてください」と言われたが、痛みがあるのに運動ができるわけがない。「リハビリをしてください」と言われたが、ほとんど効果がない。そんな患者さんを山ほど見かけます。また、試合直前に怪我や痛みで駆け込んでくる学生も多いです。期間の短い学生時代、ましてや数少ない試合、部活動の時間を怪我で過ごすことは非常に勿体無いことです。怪我をしてからでは遅いです。怪我をする前にいかに正しいケアをおこなうかが一番重要です。膝の痛みや腰痛も全く同じです。普段いかに痛くならないようにケアをするかがポイントです。
私はそんな痛くなってから不安になるような間違った状況をなるべくなくしていきたいと思っています。そのためには説明、指導を徹底した痛みの出ない身体づくりを目指し、皆様の治療に携わっていく必要があると考えています。その為に私は当院を開院しました。
一人でも多くの人に、痛みの不安から解放され、明るい未来を取り戻してもらえるように、日々施術に取り組んでいます。